ガーディアンに、超富裕層のフィランソロピー活動に対する批判的な書籍の紹介記事があったのでご紹介します。
(本当に長いです)
https://www.theguardian.com/society/2020/sep/08/how-philanthropy-benefits-the-super-rich
私が読んでみて印象に残った点としては、
・Philanthropist(慈善家)が増えている
・こうした人々は、必ずしも困窮している人々のための活動に寄付するわけではない
・超巨額の寄付が、超富裕層の思い描く良い(=必ずしも他の多くの人にとっても同様に良いとは限らない)社会のための活動に流れ込む
・超巨額の寄付による社会への介入は、時として民主主義を脅かす存在になる
・ある種の非営利活動については、寄付控除をなくすとか、富裕層により高い税金を課すなどの対応が必要ではないか
といったものでした。
(短時間でざっと読んだ限りの情報ですので、ざっくりしていることをご容赦ください)
そして、この同じ本をきっかけにして、英国ケント大学のBeth Breeze先生が(非営利セクターを擁護する形で)論じている記事がありましたので、同様に紹介します。
https://www.beaconcollaborative.org.uk/news/talk-differently-about-philanthropy/
私が読んでみて印象に残ったのは、
・困窮している人への支援以外にも、望ましい社会にとって必要な寄付はある(村のホール運営、ボーイ/ガールスカウト、アマチュアスポーツ団体、等)
・寄付者は多様であり、巨額の富を使って自分にとって利益になる社会をつくろうという人々ばかりではない。むしろ、そのような動機は寄付のなかでは主要な動機ではない
・寄付者をバッシングする傾向は、寄付者からの恩恵を受ける人々を間接的に傷つけることになる
といった点でした。
Philanthropyは、「それぞれが望む社会に向けての寄付」だといわれています。
charityは、「困窮している人のための寄付」だいわれています。
日本にいると「ほとんど同じ意味じゃないか」と思えるかもしれませんが、もしも超富裕層のphilanthropistが、自分の望む社会(それは必ずしも多くの人にとって同様に望ましいとは限らないわけですが)に向けて巨額の資金を寄付として使い始めたら、それは民主主義を脅かす存在になる、という議論になっているわけです。
同様に、小口の寄付を莫大に束ねて大きな事業を行う非営利組織は、寄付者が納得しさえしていて法律さえ守っていれば、どんな事業でも行って良いでしょうか?
このような問いも、必然的に生まれてきます。
日本ではまだ、このような問いは切実なものになっていないかもしれませんが、主に日本で活動するファンドレイザーとして、自分は、こういう問いを今から考えておきたいと思います。
人々の善意が、社会の断絶ではなく、社会の能力―様々な状況に置かれた人を取り残さない、包摂する能力―を高めることにつながるように、ファンドレザーとして何ができるのかを考える必要があると感じています。
その意味で、寄付者に対してアドバイスをする組織が立ち上がったというニュースは、とてもうれしいものでした。
組織に所属するファンドレザーは、その組織のミッションの下に働く存在であり、寄付者に対して中立的なアドバイスはしにくい構造があるからです。
寄付が社会をゆがめるかもしれない、という懸念が呈されているなかで、ひとつの希望だと思いました。
私は、ファンドレイジングの実務者として、また研究者として、「寄付者にとって何が良いことなのか、幸せなことなのか」を考えているのですが、それはつまるところ、
寄付者が社会に本当に貢献するとはどういうことなのか?
これからの社会は、どうあるべきなのか?
を考えていくということにほかならないのだと思います。
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いろいろで時間がないのですが、これは書かねば!と思いましてブログ記事にしてみました。
厳密な議論が全然できていない気がするのですが、何かのコミュニケーションのきっかけになれば、と思ってインターネットの海に流そうと思います。