寄付という行為が成立するためには、寄付者と寄付の受け手が別個に存在する必要があります(つまり、自分から自分へ寄付する、という行為は成り立たない)。
一方、寄付の受け手と寄付の受益者が別個に存在するかどうかについては、法的には2つのパターンがあるとされています。つまり、寄付の受け手=寄付の受益者、というパターン(贈与型)と、寄付の受け手≠寄付の受益者(信託型)というパターンがあり得るのです。
贈与型の寄付
寄付の受け手が寄付の受益者である場合は「贈与型」ともいうべき寄付であり、寄付の目的が、寄付の受け手に利益を与える点にある場合を指します。こちらは、贈与契約または条件付き贈与契約に近い法的性格を持つことになります。寄付の使途が指定されている場合は、負担付贈与であるという解釈も可能であるという説があります。
信託型の寄付
寄付の受け手と別個に受益者が存在する場合は「信託型」ともいうべき寄付であり、寄付の目的が、第三者(受益者)に利益を与えることである場合を指します。この「信託型」に該当する寄付は、信託に近い法的性格を持つことになります。
Cambridge Dictionaryによれば、Donationは”money or goods that are given to help a person or organization, or the act of giving them”と定義されており、贈与型が人への寄付、信託型が組織への寄付、と整理できるかもしれません。
贈与とも信託とも言い難い寄付
日本における寄付の統計資料である『寄付白書』などでは寄付の一部に含まれている「賽銭」は、寄付の受け手である宗教法人に利益を与えるための贈与とも、第三者のための信託とも解釈しがたいように思われます。強いて言うならば自己の利益を願っての寄付のように思われるので、自己目的型寄付とでも言うべきなのでしょうか。
一般に、「寄付」と呼ばれる行為すべてを法的観点から厳密に定義できるとは限らないという側面もあります。
この意味で、法的な意味での寄付は必ずしも厳密に定義されておらず、自主的公益信託ともいうべきであるという金井憲一郎先生の主張(下記論文を参照)は、寄付に関する法整備が必要であるという指摘と相まって説得力があります。
http://ir.c.chuo-u.ac.jp/repository/search/item/md/rsc/p/7165/
このページでは、寄付の構造として、寄付者、寄付の受け手、寄付の受益者という3つの主体があり得ることを確認しました。
そもそも、というところから寄付を考えるにあたって、この3つの主体がどんなかかわり方をするのかは大切な切り口だと思っています。