先日、下記のような記事を書きました。
「成功事例」でなく、「理論」から寄付募集を考える
https://watanabefumitaka.blogspot.com/2020/02/blog-post.html
実はこちら、私自身が、かなり「事例」にのめり込んだ研究を学士・修士時代に行ってきたことに対する反省が多分に含まれています。
私は、基本的に、自分を「実務の人」だととらえています。
空想することよりも、現実を少しずつでも変えていくことを志向しています。
実務は実験ではないので、まったく同じシーンは二度と訪れません。
その二度とない実務のなかに潜り込んで、周囲の人と一緒に仕事をしつつ、「もう一人の自分」が現場を観察し、何かを学んでいく、ということがとてもおもしろいと思っていました。
これは、2000年に、あしなが学生募金という募金活動のボランティアスタッフになったときに最初に感じたことでした。
募金活動の成功に全力を尽くしつつも、何が一番重要な成功要因だったのか、誰のどんな言葉がその場の空気を良くしたのか、なぜみんながこのボランティアを続けるのか、といったことを考えてきました。
「善意」が人を動かし、お金儲けでない活動(ボランティア・向社会的行動)に駆り立てるのが非常に不思議で、これは相当な時間をかけて追いかけたいテーマだなと思ったものでした。
それがあまりにおもしろくて、大学2年を終えてブラジルに行き、サンパウロのHIV陽性者の方々の団体でボランティアを始めたり、帰国して1年大学生をやったあとにウガンダに渡って、NGO活動をしながらエイズ予防について研究をしていました。
エイズというのは恐ろしい病気と言われていた一方で、「コミュニケーションの病」とも言われ、偏見にどう対応するのか、予防にマーケティングを使うとどうなるか等、興味は湧き出るばかりでした。
(学士の論文は、ブラジルとウガンダにおけるエイズ予防戦略についてのものになりました)
そうした実務をしながらの思考を支えていたのは、下記の書籍でした。
フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる
この書籍によって自分は、「ただ実務をしながら考える人」から「参与観察者」になったと思います。
ふわふわしていた「現場で観察する」という活動を、明確な「フィールドワーク」にするための方法論を教えてくれた本です。
手に取ったとき「これは、自分のための本だ!」と興奮したのを覚えています。
まったく、何度読み返したかわかりません。
企業に入ってマーケティングを担当するようになった時にも、環境・CSR担当者というコミュニティに入り込んで、その方々の価値基準、おかれた環境、個人として優先したいこと、会社から優先しなさいと言われていること、などなどを仕事をしながら観察し、理解しようと努めていました。
2010年前後くらいでしょうか、エスノグラフィーがマーケティングや商品開発の手法として注目されるようになり、にわかに自分の勉強してきた分野がマーケティングに役立つよ!と言われるようになって、驚いた記憶があります。
フィールドワークによって得られた生の情報は、非常に貴重な「事例」になることがあります。
しかしその「事例」は、簡単にそのなりゆきを再現・再生産できるものではなく、あくまで仮説を提示するために機能するものだと考えています。
再現性を高めるためには、「こういう条件下でこういう行動をすれば、これが起こるはずだ」という仮説を基に行動して、予想通りにならなかったらまた考えて、を繰り返すことになります。
まだ20代だった自分は、現場のおもしろさに熱中し、自分で仮説をつくることに夢中になるあまり、「すでに分かっていること(先行研究)」や「ある程度検証がなされている理論」を調べ尽くして仕事にあたることができていませんでした。
(その面では、上記の本にのめり込みすぎた、とも言えるかもしれません)
30代になって、今の職場に着任し、論文を調べたり本を読んだりして、先行研究や理論を手にしたうえで実務にあたれたのは幸運だったと思います。
日本の寄付研究には、研究者という視点のものからがほとんどで(当然ですが)、経営学者の視点からのものが少なく、ファンドレイザーの視点のものがさらに少なく、最も少ないのが寄付者としての視点からのものだと認識しております。
寄付者のコミュニティに参与観察者として入り込み、その内側からファンドレイザーとのやり取りを分析できたりしたら、きっとユニークな研究になるのでは・・・・!と思ったりしています(が、まずは先行研究のチェックをひたすら行っています)。
事例の力と、理論の力。両方カバーした上で、より深く寄付について理解し、より良い寄付体験を寄付者にお届けしたり、困っている非営利組織を助けたりできるようになっていきたいです。