青森県弘前市で育ちました。父親が早くに亡くなったこともあり、高校を出てすぐ市役所などの安定した仕事に就きたいと思っていました。
そんな折に、あしなが育英会の職員の方が奨学金の存在を教えてくれて、大学進学を目指すことにしました。
せっかくなら遠くに行こうと思い、関西に進学しました。住まいは阪神淡路大震災で親を失った子どものためのケアセンター「レインボーハウス」併設の学生寮で、京都大学へ往復4時間かけて通う生活でした。
大学生の頃から、なぜか
「世の中のためになる行動を人にしてもらうためにはどうしたらいいか」
「そのためにマーケティングはどう使えるか」
を考えてきました。
その結果、社会的な使命を持つ会社や、営利を目的としない組織のマーケティング担当者、ファンドレイザーとしてキャリアを積んでいます。
大学時代は、あしなが育英会のボランティアとして死別を体験した子どものグリーフケア・行動変容の支援をボランティアとして行いながら、そのNPOのための、主に街頭募金や企業寄付の募集(ファンドレイジング)にマーケティングをどう応用するか、を考えて実行していました。
Yiesという劇団にも一年くらい役者として所属していました。このときの経験は、その後研修講師をするときに、あるいは子育てに、とても役立っています。たのしい先輩にも巡り会いました。
大学時代は、京都大学の総合人間学部で学びました。
自分の研究としては、HIV/エイズ予防や運動・神経生理学をテーマにしていました。前者のHIV/エイズ予防については、ブラジルに1年(ニッケイ新聞という邦人向け日本語新聞のインターンとして)、アフリカのウガンダに(ASHINAGAウガンダというNGOの研修生として)1年滞在して参与観察、フィールドワークを行うなど、長く没頭して研究しました。
ブラジルとウガンダではずっと、エイズに影響を受けて生きる人々を写真に撮らせていただき、日本で写真展をしたりもしました。
(妻とはこの活動を通じて知り合いました)
大学を卒業してからは、アミタという環境事業・CSRコンサルティングを手掛ける会社で、マーケティング・広報・ウェブを担当していました。
企業の担当者に、環境・CSR対策を行ってもらうためのマーケティングをやっていたわけですが、これは非常に学ぶところが多くあり、やりがいもありました。
会社に所属する人の、良心を刺激する仕事だったからです。
CSR活動にマーケティングを応用するためのセミナーで講師を務めたりもしていました。
仕事の傍ら、寄付やボランティア(特にプロボノと呼ばれる、専門スキルを用いたボランティア)の力を集めるためにNPOがどうやってマーケティングを展開するか、について深堀りしました。サービスグラントというプロボノをマッチングする団体で活動したり、個人として活動したりでした。
働きながら夜学のデジタルハリウッド大学大学院を修了したこともあって、オンラインでのファンドレイジング(寄付募集)については、NPOサポートセンターの方々にお世話になりながら、非常に多く研修やセミナーを担当させていただきました。
環境ビジネスに携わりながらパラレルキャリア的にNPOのマーケティングについてコンサルタントや講師といった立場で関わる、というのはとても充実していたのですが、長男が命にかかわる病気を持って生まれ、幸いにして手術で助かったという経験をして、医学や医療を支える仕事に就きたいと思うようになりました。
Twitterで見つけた公募に応募して、2013年6月から2020年3月は京都大学iPS細胞研究所(CiRA)にファンドレイザーとして勤務しました。2020年4月からは、同研究所から分離した公益財団で、同じくファンドレイジングに携わっています。
マーケティングをより大きな(そして伝統的な)非営利組織で活用するということ、そしてそれをコンサルタントのような外部者の立場ではなく、主体としてやる、ということに挑戦しています。
優秀な研究者や研究支援者(サイエンスコミュニケーターや契約担当者、所長補佐、技術員など)と働いたり、心ある個人、法人、団体の寄付者の方々と接するのはとてもありがたい経験です。
二児の子育て中ですが、大学の図書館が使い放題なので喜んでいろいろ勉強しています。行動経済学の勉強会に顔を出したり、U.C.Davisのオンライン授業でファンドレイジングについて学んだりしています。
2019年からは、寄付についてより科学的・学術的に理解することを通じて、寄付者の幸せに貢献したり、寄付者が社会に貢献することをいかにサポートするか、に強い関心を持っています。